| 第15回 |
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「“tamtam”ブランド誕生」 |
3店舗目オープンの話は前回、
書かせてもらいました。
振り返るととてもバランスのいい状態だったと思います。
トップダウン形式で、伝達も指示も伝わりやすいし、
何かあればすぐに修正や話し合いが出来る、
「個」として対応できる範囲だったと思います。
10名~20名弱のスタッフ構成は、
一つのテーマに向かって共通の意識でがんばりやすいチームとして、
バランスがとても良い規模とも言えます。
その後プランセスは、
スタッフ数も30名・・40名・・50名と増えていくことになります。
そうなると、
だんだん個では、対応が難しくなります。
リーダー(トップ)の器が大きければ、
そのくらいでは限界値にはならないのでしょうが・・
なにせ力量不足の私は・・。笑
店舗数からいくと、
3店舗から先が難しくなるとよく言われますが、
まったくその通りだと思います。
方法を変える時期です。
具体的に言うと、
幹部の責任が多くなっていきます。
トップの能力だけでは手が回らなくなるからです。
それぞれの重要なポストに、
トップの分身的な人が必要になります。
よく、
「自分と価値観の違う人を側に置きなさい。」的なことを
言う人もいますが、それは間違いです。
まだこの時点では・・・そこまでのレベルではありません。
トップが走る!そのときに、
価値観が違うからと歩く人・・(もっとひどいと逆行する人・・)
を側においていたのでは、話になりません・・・。
「自分と価値観の違う人を・・・。」と言うのは、
組織も成長して成熟し、
安定成長をしなくていけない時期の話だと思っています。
成長期においては、
自分と価値観の共鳴できる人を側に置く。
これは、キャリアや年齢は関係ありません。
「一緒に走る」ことが大事だと思います。
戦国時代にたとえると、
織田信長が桶狭間の戦で、周りの反対意見を聞いて
のんびり合議制でもやっていたら、
その時点で滅びていたでしょう。
成長期には、絶対的な「ビジョン」と「行動力」が求められます。
プランセスにおいては、
その時期の「分身的な役割」を担ってくれたのが
戸葉ディレクターであり田辺ディレクターでした。
もちろん、他の幹部達もある意味そうなのですが、
まったくではないけど「価値観がやや違う人」も
いたかもしれません。笑
H13年秋ごろ、
3店舗目市川南店の成功に自信を深めて、
私は次なる物件探しを、ひそかに始めていました。笑
それまでお世話になっていた不動産屋「C宅建」で
テナント情報を見ていると、ふと気になる物件が!
「そういえば・・・。ここ空いてたんだ。」
場所は市川駅北口ロータリーから路地を一本入ってすぐの1F。
以前、パチスロが在ったテナントでした。
間口は3.5mと狭いものの、
L字型になった店舗で、坪数は27坪とありました。
ところが、実際に内装屋さんに測ってもらったところ25坪強?
まあ、こんな事はしょっちゅうあります。
壁の寸法も、外寸と内寸があって、
外側から計る場合と内側から計ると場合とあるようです。
実際、使えるのは内側ですのでそうしてもらいたいのですが・・。
また、壁の真ん中の線から計る場合もあるようです。
当然、壁の厚さが厚ければ坪数もだいぶ変わってきます。笑
家賃の設定が大体「坪いくら?」として設定していきますので、
オーナーと不動産屋(本来は中立の方がいいと思いますが。笑)は、
当然坪数は広い方が良いので、
ふかしてくる(膨らます?)ケースが多いようです。
借り手側は、
実際の寸法(使える広さ)で交渉したいものです。
この物件に関しては、
坪17,000円~18,000円で家賃が設定してありました。
2坪違うと・・・。
最終的には、
坪15,000円程度(家賃430,000円)で契約に落ち着きましたが、
その前に借りていたパチスロ屋さんは、
坪25,000円前後の条件で借りていたようです。
さらに、保証金は3,000万・・・。
うちでの契約は、
保証金600万だったのでよかったと見るべきか??
もっとも、パチスロ屋さんが契約したころは
バブル期で家賃も高かった時期ですが・・。
それでも、いろいろ検討した結果、
最終的には気に入って、やる気満々でした。
責任者として、市川南店チーフの田辺を店長にと思い、
物件を本人に見てもらったところ、
彼もとても気に入ってくれたようでした。
そこで責任者の心配もなくなりました。
ただし、気に入ったからといっても
今回のテナントは「場所」に問題がありました。
いくら北口、南口、京成エリアが分かれているからといえ、
半径1km強しか離れていない近い間隔のところに
3店舗の出店をするというのは、
「何とかなる」の私でも、少々無謀にも思えました。笑
そこで、駅前と言う利点をいかして、
ターゲットの層を変え、絞り込む事にしました。
簡単に言うと、
若い人をメインターゲットにしたお店作りをすることにしました。
- 平日営業時間を20:00まで受付
- 学生料金を他の店舗より少し安めに設定
- 流行のメニューをいち早く取り入れる。
などの戦略をたてました。
そして、
名前もこれまでの「PRINCESSE TAMTAM」ではなく「tamtam」とし、
ロゴも新しく作って「tamtamブランド」がスタートしました。
この時点で、
「プランセスタムタム」と「タムタム」の2つのブランドになりました。
この頃、
オープン以来お願いしていた印刷屋さんが倒産して、
新たに(株)エクセルアートの榎本さん(現社長)との
お付き合いがスタートしていました。
印刷屋さんと言うより、
チラシやツール類の広告の手伝いをしてもらっている
会社と言った方がいいのかな?
榎本さんとは同年代で相談しやすいと言うこともありますが、
歯に衣を着せないズバッと切り込む核心発言が好きです。
今でもとても、大切なブレーンのお一人です。
その後、ホームページの製作や管理もお願いしていて、
プランセスには無くてはならない存在です。
毎回そうですが、
商圏分析、内装の打ち合わせ、チラシの打ち合わせ、
スタッフ人事、資金調達・・とすり合わせながら
徐々にお店が出来上がっていきます。
資金調達のほうでは、
前回に断られた信金にお願いして融資してもらう事にしました。
ある意味、リベンジです。笑
返済期間も、
今までの3店舗は10年で融資を受けていましたが、
その頃は自信満々・・5年の返済期間としました。
もう返済は終わりましたが、
結果的に月々30数万の返済は結構大変でした。
内装工事~チラシ作成~年末プレオープンと進み、
H14年1月3日、
tamtam市川北店がオープンしました。
新規のお客様も、
南店のオープンのときのように盛況とは行かなかったですが、
まずまずのスタートでした。
ところがオープンして3ヶ月を過ぎた頃、
問題勃発です。
スタイリスト2名、アシスタント2名の4名でスタートした市川北店。
2番手のスタイストのスタッフから突然の退社の申し出がありました。
大ピンチです。
しかし、残ったメンバーで乗り切ってもらうしかありません。
と言うのも、このときは
会社全体としてスタッフ(特にスタイリスト)不足だったため、
他の店舗からスタッフをまわす事が出来なかったのです。
結果、
田辺店長ひとりがスタイリストで、アシスタントが3名(のち4名)という、
とてもバランスの悪い状態になってしまいました。
それでも、
売上200万程度は上げてくれていました。
しかし、家賃と返済が高く、
採算ベースの330万にはとても届きませんでした。
当時アシスタントで入社2年目だった
小松千秋(現アーティスティックディレクター)が、
その状況を理解してくれていて、
一日も早くスタイリストになるべく一日2~3名のカットモデルをやり、
9月にデビューしました。
(その時点での最短デビュー記録(1年6ヶ月)でした。)
そこから、何とか売上も上がっていったのですが・・。
当時、プランセス全体の4店舗でも、
10名のスタイリストしかおらず、「スタイリスト不足」は深刻でした。
早くスタイリストとして育ってもらいたくても、
相手があることなので、こちらの都合ではうまくいきません。
「何とか・・」は、ならないものです・・。 |